【導入】予測不能な時代の「新規事業開発」というジレンマ
現代のビジネス環境は、まさにVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の極みにある。テクノロジーの進化や予期せぬ社会変化が日常となる中、既存事業の延長線上に企業の未来を思い描くことはもはや不可能に近い。大企業からベンチャー企業に至るまで、多くの組織が「イノベーション」を掲げ、専門の「事業開発」部門を立ち上げているのは自然なことである。
しかし、多くの新規事業開発は、機能不全の状態と思われる。大きな期待をもって取り組まれたプロジェクトが、いつの間にか社内政治の波に飲まれ、無難な改善提案に矮小化されてはいることもある。あるいは、膨大な時間をかけて作成した事業計画書が、市場の急激な変化の前に紙くず同然になってしまうこともある。
クリステンセン教授は新規事業計画の90%はその通りにいかないと指摘している。
我々が直面している課題の根源は、担当者の能力不足でも、アイデアの陳腐さでもない。これまで既存事業を成功に導いてきた「思考のOS」そのものが、新規事業開発という未知の領域において機能不全を起こしている点にある。
【現状分析と課題】なぜ、分厚い事業計画書がイノベーションを殺すのか
多くの企業が新規事業開発において陥る罠、それは「コーゼーション(Causation:因果論)」的発想からの脱却ができていないことだ。
コーゼーションとは、まず明確な目的(ゴール)を設定し、そこから逆算して最適な手段を選択し、必要なリソースを調達して実行に移すというアプローチである。既存事業の改善や、市場の予測がある程度可能な環境においては、この手法は極めて有効だ。しかし、VUCA時代における新規事業開発にこの発想を持ち込むと、以下のような深刻な機能不全を引き起こす。
- 過度な計画への依存と実行の遅れ:「市場規模は?」「競合優位性は?」「5年後のROIは?」といった問いに対し、精緻なデータとロジックを求められる。結果として、現場は「通すための計画書」作りに疲弊し、顧客と対話する貴重な時間を失ってしまう。
- 想定外の事態=「失敗」という硬直的な評価:不確実な市場では、計画通りに進まないのが当たり前だ。しかし、コーゼーションの枠組みでは、計画からの逸脱は即ち「失敗」や「リスク」とみなされる。これにより、担当者は軌道修正の機会を奪われ、プロジェクトは早期撤退を余儀なくされる。
- リソース不足を言い訳にする風土:「予算がない」「人が足りない」と、ないものねだりをして歩みを止めてしまう。
(注)Causationが駄目だということではない。不確実性の問題で、市場が予測可能な場合、Causationは有効である。
このように、従来のマネジメント手法をそのまま適用しようとする姿勢こそが、企業のトランスフォーメーションを阻む最大の障壁となっているのである。
【経営と個人の責任】「エフェクチュエーション」による突破口
では、予測不能な海図なき海をどう進めばよいのか。ここで取り入れるべきが、「エフェクチュエーション(Effectuation:実効理論)」という思考法である。これは、優れた連続起業家たちが共通して持つ意思決定のプロセスを体系化したものである。
エフェクチュエーションは、目的から逆算するのではなく、「今ある手持ちの手段(自分が誰で、何を知っていて、誰を知っているか)」からスタートする。そして、予測ではなく「コントロール」によって不確実性を乗りこなしていく。このパラダイムシフトを実現するためには、組織(経営)と個人(現場)の双方向からのアプローチが不可欠だ。
組織・経営層が取り組むべき環境作り
経営層や人事担当者に求められるのは、エフェクチュエーションを実践できる土壌、すなわち新しい「評価と資源配分の仕組み」を構築することである。
- 「許容可能な損失(Affordable Loss)」の事前設定:期待されるリターンを問うのではなく、「いくらまでなら失っても企業として致命傷にならないか」を事前に定義する。この範囲内であれば、現場に大胆な実験を許容し、権限を委譲しよう。
- 学習とピボットを評価する指標への転換:売上や利益といった遅行指標ではなく、「どれだけ早く顧客の仮説検証を回したか」「失敗から何を学び、どう軌道修正(ピボット)したか」を評価するKPIを導入する。
- 共創を促すオープンなエコシステムの構築:社内外のステークホルダーと偶然の出会いやパートナーシップを築けるよう、組織の壁を越えたコミュニケーション機会や、外部とのネットワーキングを制度として支援する。
現場の個人が持つべきマインドセット
一方で、現場のリーダーや担当者も「会社の制度が悪い」と嘆く傍観者であってはならない。事業開発を担うプロフェッショナルとして、以下のマインドセットへの転換が求められる。下記にEffectuation理論の3つをあげる。
- 「手持ちの鳥」で始める:「〇〇の技術がない」「予算が足りない」と欠乏を数えるのをやめよう。自分自身の原体験、これまでに培ったスキル、目の前にいる同僚や社外の知人。今ある手持ちのカードをどう組み合わせれば新しい価値が生み出せるかを考え抜くのだ。
- レモネードの原則(偶然をテコにする):「酸っぱいレモンを渡されたら、甘いレモネードを作れ」。これは、予期せぬトラブルや市場の変化を、計画の頓挫と捉えるのではなく、新たな機会として活用する姿勢である。不確実性を恐れるのではなく、歓迎し、味方につけるしなやかさを持とう。
- クレイジーキルト(パートナーシップの構築):競合を分析して打ち負かすことよりも、ビジョンに共感してくれる顧客やパートナーを一人でも多く巻き込み、共に新しい市場というパズル(キルト)を縫い合わせていくことに注力すべきだ。
【結論】不確実な未来を「創る」ための第一歩を踏み出そう
新規事業開発とは、緻密な計画を忠実に実行する作業ではない。不確実という霧の中へ、自らの意志で一歩を踏み出し、周囲を巻き込みながら未来の景色を描き出していく「冒険」である。
コーゼーション的発想に縛られた既存の枠組みを打破し、エフェクチュエーションという新たなOSをインストールすること。それこそが、真のイノベーションを生み出し、企業を次なるステージへと導くトランスフォーメーションの鍵となる。
経営層は、挑戦者が安心して失敗できる「安全基地」を提供しよう。そして現場のリーダーは、今すぐ手元にあるオールを力強く握り、最初の一掻きを水面に下ろそうではないか。未来は予測するものではない。あなた自身のその手で、今日から創り出していくものなのだ。
野中幾次郎(敬称略)は、日本の経営が駄目な3大過剰をあげた。その一つが計画過剰である。
私はEffectuationの実践指導を行っているが、Effectuation理論だけを学んでも、豊富な経験を伴わないとEffectuationのマインドにはなれないのではないか。Causationが強すぎるという印象がある。失敗も恐れる。新規事業開発に失敗はない。実験である。実験をする勇気を失ったら終わりである。